ねぇ どこへ行く どこでも行く

ちょろちょろ書くとか言って全然書かない。


というより、アウトプット欲自体が減少していて、Twitterでもなんでも、僕は何も言ってない。ネット自体からも離れていて、何見ても浦島。既に過ぎ去った話題に「ほうほう?」となり、一歩引いている自分を認識して、こんなことじゃおじいちゃんだ。おじいちゃんが最近の若者に流行ってる何かを1年後れくらいで認知してしたり顔してるようなんじゃ、何にも楽しくない。でも気力もでない。そんな今です。


アニメもあんまり見ていなくて、来期からはようやくアニメバブル(?)も終わり本数が激減するらしいと聞いて、ちょうどいい「終わり」かなーとぼんやり思い、そんな熱量しか既に無いのかーと自覚すれば、さらに熱が減っていく感じ。ただ、ここ数年の狂ったような本数で、多量見によるフィクションの見方のバリエーションががんがん開発されていくのは、間違いなく趣味における収穫で、貴重な「体験」だったと思う。頭のいい人に無駄と言われようとも実際見て楽しむことは否定されない。


追えてるのはDTBとレールガンときるみんくらいかな。


DTBはスオウは可愛いんだけど、花澤香菜の株が化物語のなでこと合わせて急激に急上昇ではあるのだけど、1期と比べるとgdgd感が増してて、いまいち何がしたいのかわからない。


2話で1エピソードが終わらないから、どこまでこの状態が続くのかわからない、ってのがダメなのかもしれない。ターニャも引っ張った割にはたいして面白みもなく死んでしまったし。ヘイにしろその他のキャラにしろ、最終的な目的がふせられすぎてるのも、gdgdというか不透明過ぎて、「今は伏線です。あとで意味がわかります」過ぎて、見ていて面白くない。開示される情報と伏せられる情報と推測できる領域のバランスが悪い。


2話1エピソードに1〜2人の契約者のなんやかんやがぎゅっと詰め込まれて、結局敵は死んじゃう。結果が死で固定されてるからこそ、それが2話で終わると決まっているし、わかっているからこそ、死ぬまでの課程や死に様を腰を据え、考えながら見ることができて、それが面白かったのだけど、2期はそれがない上に、代わりの面白さがスオウくらいしかない。あとダメ親父になったヘイのダメっぷりとか。


レールガンは百合が「あなた達こういうの好きでしょ?」過ぎてノれない。これは単に好みの問題。狙われすぎるのが嫌いってのは正確ではなくて、単に狙われてるのが自分でないだけなんじゃないの、という。自分が好きなものを用意されていれば、そこに満足があれば、所謂「あざとい」なんてのは何の問題もない、需要と供給の成立で、つまりは幸せ。だからまぁ「あざとい」って感想はどうにも好きになれない。


あと単に情報量すっかすかに感じる。密度で言えば女の子がお菓子食べてるだけだったけいおんの方が断然濃かったレベルで、その点好みっていうよりは密度の問題でガールズトークアニメ(なにそれ)としてレールガンをみてはいけないのだろうなー。


あとあと戦闘パートの上っ面のピンチ感に萎えてしまう。相手のヤンキーさん、やられるために戦ってるようにしか見えないことが、日常パートのリアリティ水準とずれてるから、せっかくの能力バトルがせいぜい作画に見所を見つけるしかない処理作業めいてしまって、どうでもよすぎるしもったいない。

なんか1番楽しんでるのがきるみんずぅな気がしてきた。なぎさ姉が性的。