気持ち悪いことを書きます。別に変な宗教にはまってるわけじゃないです。


人に話すと最悪、頭がおかしいんじゃないかと思われる、というより、話すことによって誰も得しない話なのですが、僕は時に強烈な「予感」に襲われることがあって、きっとデジャヴと同じように錯覚なそれを、困ったことに信じていたりします


例えば「ああ、この部屋には2度とこないな」と思った恋人の部屋に2度と訪れることがないとか、「この人とはもう二度と会わないんじゃないか」と思った人と未だに再会していないとか、「この場所を訪れるのはこれが最後ではないか」とか、「あ、この人とセックスするのこれで最後だわ」(これを覚えているのは最後のセックスは全て射精できていないという変なジンクスがあるからです)とか、思った時点では全く兆候もなく、ただ予感だけが唐突に訪れて、僕を一瞬呆けさせるわけです。そして、日常は止めどなく流れていき、そんな予感を抱いたことを忘れる程の年月、数年後か数ヶ月か数週間かに、予感が現実になっていると気づき、そんな馬鹿な、偶然だ、錯覚だと笑い、しかし他人には言わない言えないけれど自分だけはなんとなく信じている信じるにたるジンクスめいたものとして、着々僕の中と根付いていったわけです。ここまで読んで「気持ち悪い奴だな」というのが、きっと正常なのでしょう。あるいは、他人に言えない自分だけのジンクスなんてありふれているよ、と思うでしょうか。どっちもありそうです。割とよくある話で理屈で説明できてしまう現象なのかもしれません。まぁ、いい年して言うには、あまりにも夢見がちです。


で、なんでこんなことを書いてるかというと、さっき唐突に「ああ、家族全員でこうやって焼き肉を食べるのはこれで最後かもしれないな」という強烈な予感に襲われたからです。幸せな時にふと不安に襲われることはもちろんありますけど、それとは感覚が違います(我ながらうさんくさい物言いですね)。「ああ、誰がいなくなるんだろう?」「次に帰省するのは正月?それまでに何かが起こるのかな?」などと一瞬考えてしまった後、あまりに不謹慎なそれを打ち消そうとすればするほど、嫌な予感が強まり確信に近づいていきます。たまらなく嫌です。今書いてる今だってとても嫌です。読んでる人だって嫌でしょう。


ただまぁ、ご存じのようにどこまでいっても単なる嫌な予感でしかありません。笑いごとです。だから、具体的な行動をとるわけではありません。もし予感が運命ならば、事故だろうが病気だろうが想像のつかない何かだろうが、いずれにせよ何かしらの不幸に誰かが見舞われるわけで、それは運命として不可避で、僕は無力なのだろうと、勝手に無力感を感じるなんて思春期少年が主人公のフィクションの読み過ぎじゃないかしらなんて思うし、たぶん明日になったら書いたことを後悔しているのでしょうし、予感自体を忘れているかもしれません。読んだ人は大まじめにこんなこと書いてアホじゃないかしらって思うでしょう。それはおまえの胸に秘めておけばいい話で、人に言うべき話じゃないって怒る人の顔が見えます。俺だってそう思います。


ただ、誰に馬鹿にされようが、どこかに残るところに書いておこうかなと思っただけです。出来れば当たらないことを祈って、書いてるだけです。